日誌

弓道部 ぼっち・ざ・ろっく!は部活あるあるであふれていた

 タイトル見て驚いた人もいるでしょうね。何を書くつもりだろうって。うれし泣き

 

 すごい作品だねこれは。「陰キャ」と自分のことを認識している主人公とそれを取り巻く人々のお話。何しろお話のスタートが「この指とまれ」に対して、「私なんかが止まっていいのかな」から始まりますからね。

 でも、組織の中に身を置くということは、多かれ少なかれこのお話の主人公のように、周囲に対する「自分なんかが・・・」という遠慮というか、そういう気持ちをもつことがあるんじゃないかなと思いました。

 

 だいたい、バンドマンはインドアなのではないでしょうか?「パリピ」のバンドマンもいるにはいるでしょうが、どうなんでしょうか?そんなにはじけていたら、楽器がうまくならないような気がしませんか?エアバンドならともかく・・・。

 

 そして、物語の中で、主人公が少しずつ育っていく様を見るのもなかなか面白いものです。成長といわず、あえて育っていくといいましたが、成長とは少し違っていると思いました。

 主人公は心の中にある、あふれんばかりの気持ちを、ずっと抑えてきたけれど、音楽活動を通じて、それが一つ一つ表面に現れてくる感じがしました。部活の中での立ち位置を、活動を通じて確立していくように。

 そして、周りには主人公を支えてくれる人が、不思議と集まってきますよね。それは物事に、真摯に向き合っていることが周囲の人たちに伝わっているという証拠ではないかと思います。一生懸命に部活に取り組むかどうかで周囲の評価はかわりますよね?そういうことなんだと思いますよ。

 

 物語には、光と影のコントラストが存在しますね。主人公の後藤ひとりと喜多郁代。彼女たちのレパートリーの中にも、そのことをテーマにしているのかも?という楽曲が存在しますね。「ギターと孤独と蒼い惑星」や「星座になれたら」はわかりやすいかもしれません。作中では、後藤ひとりが作詞しているという設定になっていますが、この2曲比較してみると主人公の心の葛藤と、その先にたどり着き、導き出した答えが盛り込まれているような気がします。

 

 ひとりは、自分を影だと思っています。しかし、彼女が光だと認識している郁代は、文化祭のステージでは「後藤さんみんなに見せてよ、本当は後藤さんがすごくかっこいいんだってところ」と弦を切ったひとりをサポートし、文化祭後、体育館でダイブしてしまったひとりに、「私は人を引き付けられるような演奏はできない。けどみんなと合わせるのは得意みたいだから」と話し、「私、ひとりちゃんを支えていけるようになるね」と心に決める。

 すでに光と影はそれぞれの中で、それぞれの立場で逆転現象を起こしている。そしてそれが、交差し、何度も何度も立場を代えながら支えあっていくことでしょう。

 

 支える人、支えられる人。組織とはそういうものじゃないでしょうか?

 

 ながながと・・・・この話がしたくて、無理やりこじつけたような気もしますけどね・・・ニヒヒ

 

 本日は、遠足。自分はお留守番です。みんな楽しんでますか?

 いやぁ、お仕事がはかどります。ええ、寂しくないです。心配・うーん