校長Blog
2024年11月 スミレ再び
11月下旬になって朝晩の冷え込みが増しています。学校から見える山の木々も色付いています。小鹿野も本格的な冬を迎えます。11月は、霧の発生も多く、先日は、雨上がりで学校に着いたとき、霧が出ていました。校章のデザインに使われているイチョウの葉も黄色みが増しています。
11月27日に咲いていたコスミレ
11月の下旬に校地内を歩いていたら、コスミレの花を見つけました。皆さんはスミレのなかまは、春に咲くというイメージが強いかもしれませんが、2023年6月の校長ブログ「スミレの生存戦略」にも書きましたが、花弁がない閉鎖花は、春以降も長い期間見ることができます。そして、秋になると、春のように花弁がある開放花を付けることがあります。花弁がある開放花には、自花受粉ではなく他の花の花粉で受粉する機能があります。そのことによって遺伝的な多様性が受け継がれるのです。スミレ属の花は虫媒花で、ハチのなかまなどがポリネーター(花粉媒介者)のようです。同じときに開放花を付けている複数の種類が近くに生えていると、ポリネーターは、花の蜜が目当てで花を訪れます。そして花粉を体に付けて次の花に行きます。そのときポリネーターはスミレの種類はあまり気にしないと思いますので、結果として異なる種間で交雑し、雑種ができます。スミレ属には多くの雑種が記録されています。下の写真は、左からヒカゲスミレ、中央がスワキクバスミレとよばれるヒカゲスミレとヒゴスミレの雑種で、右がヒゴスミレです。ヒカゲスミレは、単葉で葉は切れ込みませんが、ヒゴスミレの切れ込む葉を受け継ぎ、スワキクバスミレは中間型になっています。
左の葉からヒカゲスミレ、スワキクバスミレ(雑種)、ヒゴスミレ
通常、別種の個体間の交雑でできた雑種の個体は、有性生殖による繁殖が正常ではないことが多く、雑種であることは、そのことからも推測できます。例えば、下の写真はスミレとヒゴスミレを交雑して種から育てた雑種の個体です。葉にはスワキクバスミレのように切れ込みがあります。花の色はヒゴスミレが白色で、スミレはいわゆるすみれ色ですが、両種の雑種は、スミレの花に似た色です。この雑種のスミレは毎年4月下旬によく花が咲きます。これを15年以上観察してますが、今まで一度も種子ができていません。
スミレとヒゴスミレの雑種スズキスミレ
しかし、植物の場合、交雑したあとに倍数化が起こることによって新しい種が形成される可能性があります。もしかすると皆さんが気が付かないところで新たな種が形成されているかもしれません。スミレはこのようにおもしろい植物です。県内にもスミレの雑種は生えています。いつか新しい種ができるかもしれません。そんなことを思いながら観察することは楽しいことです。
2024年10月 旅するチョウが集まる花
2024年10月は、Tsuchinshan-ATLAS彗星が観られるというニュースがあり、久しぶりの明るい彗星が見られるかもしれないと楽しみにしていました。しかし今月は晴れの日が少なく、観測可能なタイミングで月が満月に近く、観測のコンディションはあまり良くなかったようです。それでも3度、写真に収めることができました。下の写真は10月14日に荒川のスーパー堤防上にある公園で日没後1時間くらいの南西の空を写したものです。肉眼では確認できませんでしたが、スマートフォンのカメラは、彗星を捉えていました。今のスマートフォンのカメラは、本当に高性能だと驚かされました。
Tsuchinshan-ATLAS彗星(2024.10.14 18:05 鴻巣市大芦 荒川パノラマ公園)
国立天文台のウェブサイトによると、この彗星は、2023年1月に発見され、地球に最接近したのは、10月13日とのこと。放物線に近い軌道で、この後は太陽系の外に出て地球の近くにはもう戻って来ないと考えられるそうです。本当に良いタイミングで撮影できました。
さて今月は、その彗星を見て、旅するチョウ アサギマダラと吸蜜のため訪れる植物について書くことにしました。アサギマダラについてウェブページを検索すると、「旅する蝶」とか「渡りをする蝶」といった言葉が目につきます。アサギマダラは、チョウの大きさを比較するときに使われる前翅長が、ナミアゲハや国蝶のオオムラサキなどと同程度である大型のチョウです。マーキング調査のデータが蓄積されていています。マーキング調査とは、成虫の翅に採集地、採集年月日、採集者の情報などをマーキングして放し、その個体が再捕獲されたとき、最初のデータとの比較で移動にかかった時間や距離を調べられるというものです。私も以前、マーキング済みの個体を見たことがあります。鹿児島県立博物館研究報告第43号に「アサギマダラの長距離移動に関する気象学的考察」という論文があり、そこには、移動距離が2,500kmにもなった個体があったことや、飛翔速度の推定値など算出したことなど書かれていました。昆虫と気象の関係という視点も面白いと思いました。
アサギマダラの生活史で植物との関係性は研究されていて、産卵する植物や、吸蜜する植物が何なのかよく調べられています。秋は、大移動の時期で、このころに花で吸蜜する様子が観察できます。アサギマダラがよく観察される植物のひとつがフジバカマです。フジバカマをウェブページ検索するといろいろなところに植栽されていることがわかります。小鹿野町でも、おがの化石館の前に植えてありました。2回見に行きましたが、残念ながらアサギマダラを見ることができませんでした。
おがの化石館に植栽されているフジバカマ
フジバカマ以外の吸蜜植物でよく知られているのは、県内でも生育を確認していて特定外来生物に指定されているミズヒマワリです。以前撮影したことがある県内の生育地に向かいました。以前の場所は河川改修でよくわからなかったのですが、川岸に近づくとミズヒマワリが生えていて大きなチョウがひらひらと白い花に来ていました。アサギマダラです。
川岸に生育する中南米原産の特定外来生物 ミズヒマワリ
ミズヒマワリの花に蜜を吸いに来るアサギマダラ
秩父地域にもフジバカマは各所で植えられています。11月になっても公園などに植栽されたフジバカマでアサギマダラを見るチャンスがあります。アサギマダラのマーキング調査は誰でも参加できるそうです。アサギマダラに限らず皆さんの身の周りの自然に目を向けると新しい発見があるかもしれません。自然豊かな秩父地域で学ぶ皆さんには色々なことを体験していってもらいたいと願っています。
2024年9月 生物季節観測
暑さ寒さも彼岸までということわざがあります。これは、残暑も秋の彼岸ごろには和らぎ、残寒も春の彼岸のころには終わり暖かくなるというような意味です。今年は、9月に入っても気温が35℃を越す日が何日もありましたが、そのことわざのとおり下旬には、急に涼しくなりました。
生物の生活のサイクルは、気温の影響を受けています。今年は、ヒガンバナの開花が1週間程度遅れたように感じます。こういうことも日ごろデータを取っていれば比較ができますが、残念ながらヒガンバナの開花日を記録していませんでした。
ヒガンバナ(2024年9月28日 長瀞町)
気象庁では、生物季節観測という植物の開花や昆虫や鳥類の鳴き声をその年に初めて確認した日をデータとして蓄積しています。春になるとサクラの開花情報がニュースになりますが、これらがデータとして残されています。私は、以前は記録していたのですが、ニイニイゼミの鳴き始めの日に注目していました。埼玉県の平野部には、5月ごろ鳴くハルゼミの後、夏になると最初に鳴き始めるのがニイニイゼミです。ニイニイゼミの鳴き始めが梅雨明けの目安になっているように感じます。以前記録を取っていたときに、梅雨明けの天気図の気圧配置が安定し始めるころ鳴き始める傾向があり目安にしてきました。話はその少し変わります。小鹿野高校周辺では、最後まで鳴くセミは、何でしょうか?お盆の前から鳴き始めるツクツクボウシかミンミンゼミのどちらかだと思います。セミに限りませんが、実際に自分見たり聞いたりしたことを毎年記録しておくと季節の変化に敏感になると思います。
2024年8月 植物がある暮らし
今月は、植物がある暮らしとして、食用や薬用など以外での植物と人との関わりについてのお話しします。今月27日に行われた令和6年度関東地区福祉研究発表会の福祉研究部門に本校2年次生2名が埼玉県代表として出場しました。これに先だって行われた県の予選で最優秀賞に選ばれたためです。当日は堂々と研究発表を行い、優良賞をいただくことができました。大変喜ばしいことです。研究テーマは、「花はQOLを向上させるか」でした。花=植物と言っていいでしょう。QOLは、Quality Of Lifeの頭文字から作られている言葉で、「生活の豊かさ」とか文字どおり、「生活の質」という意味です。つまり植物が生活の質を向上させるかという研究です。生徒たちは、仮説を立てて、検証し、考察するという流れで、花は、花に興味を持つ人のQOLを向上させるという結論でした。この調査研究のためのアンケートに回答いただいた皆さんには、おかげさまで生徒たちが研究成果をまとめることができたことを、この場を借りてお礼いたします。
さて、植物がある暮らしというと、私は園芸という文化を思い浮かべます。例えば、寺社や城などの古い建造物には、素晴らしい庭園があることも植物が人々の心の安定などに効果があることと関係していることでしょう。庭は、自然や世界観を庭園という空間に作り出しているものだと思います。また、華道は園芸とは違いますが、活花も忘れてはいけません。話は、園芸に戻ります。現在では、園芸店やホームセンターなどに行くと様々な植物が売られていますし、ウェブサイトでもいろいろな方法で植物を手に入れることができます。
園芸というと、いろいろな植物が栽培されていますが、歴史的にはオランダにおけるチューリップの流行などが有名です。このことは、私が持っている英和辞典にもtulipomaniaという単語で載っています。オランダでは、異国の花で魅力的なチューリップに熱狂し、価格が高騰して、そのあとに価格の暴落が起きています。このことは、経済の分野でも研究されているようです。日本でも江戸時代には、様々な植物が栽培され、同じようないわゆる園芸バブルも起きています。その一つが、マツバランというシダ植物で起きています。マツバランは、暖かい地域に生育する植物で、埼玉県でも自生を確認しています。
マツバラン(2004年11月 沖縄県八重山郡の西表島)
マツバランは、形態的に変わっています。シダ植物や種子植物など維管束植物の多くは、からだが根と茎と葉からできていますが、マツバランのからだは、地下茎と地上茎でできているといえます。つまり、地下部には根がなく、地上部には、茎に小さな突起がありますが、葉脈にあたるものがなく、通常の葉とは違うイメージです。まさに「根も葉もない」植物です。
根がないマツバランの地下部の茎
そのマツバランは、シダ植物であり、胞子で増殖するため、街中の植え込みの中に生えていることもあります。これは、庭園木の移植とともに移動したものか、それらに由来して胞子で増えたものかもしれません。そういった自然に生えた個体の中には、形が変わった個体や白色や黄色の斑入りの個体が見つかることがあります。それらは、その珍しさからコレクションの対象になりました。江戸時代にその人気がわかるエピソードとして、1鉢の「松葉蘭」が、土地付きの家と交換されたことなど、伝わっています。今でも当時人気があった個体が受け継がれているものがあります。マツバランは、草ですが、地下茎で増え、それを株分けしながら維持してきました。ある意味100年以上生きていることになります。
温室内で増殖したマツバランの変わった個体(縮緬という芸の個体)
このように洋の東西に関係なく、人は珍しいものを持ちたいという気持ちがあるようです。植物は、癒しを与えてくれますが、今の園芸ブームを見ていると、コレクションのためのストレスもありそうです。高い金額で手に入れても、しばらくすると、それよりも安く売買されているなど趣味の植物では、比較的よくあることのようです。私は、植物に興味がありますが、忙しいときは、例えば、春にウメの花が咲いたことになかなか気が付かなかったことなどありました。忙しいという字はりっしんべんに亡くすですから、心を亡くした状態ということでしょうか。植物に限らず、自然に意識を向ける心の余裕を常に持ちたいですね。
2024年7月 夏の花
みなさんは夏の植物というと何を思い浮かべますか?その前に夏をどうとらえるか確認します。今年、令和6年(2024)のカレンダーでは、8月7日が立秋です。暦の上では立秋の日から秋ということにはなりますが、ここでは生徒の皆さんの夏休みの期間は、夏としましょう。そうすると私の場合は、夏といえばユリがイメージの筆頭です。皆さんが思い浮かべるのは、アサガオですか?それともヒマワリですか?
私は子供のころ、夏休みに出かけたときに山地の道路沿いに咲く白いヤマユリの花や海岸の岩場で咲いていたオレンジ色のスカシユリの花を見たことなどなどが印象に残っています。また、高校生のとき甲子園に野球観戦に行き、高速道路沿いに咲くタカサゴユリと思われる白い花を見たことも夏の記憶として今でも思い出されます。
さて、ユリというと、ユリ科ユリ属が真のユリということになりますが、この時期に咲くウバユリなどユリ科でもユリ属ではない「ユリ」もあります。ウバユリは、葉の形もユリ属とは大きく違いウバユリ属に分類されています。
ウバユリ(寄居町 2024年7月30日)
ユリと人との関わりですが、日本では、古くは古事記や万葉集に「由利・由理・由里・百合」の記述があります。しかし、残念なことにそれが今のユリなのか、どんな種類のユリなのかを確かめる術はありません。
万葉集の「姫由理」はヒメユリ?(四国カルスト 2005年8月)
食用としてのユリも調べました。本校の図書館にあった「つれづれ日本食物史 第一巻(川上行藏)」によると、少なくとも平安時代初期にはユリを食べていたと書かれていました。そこには、食用とされたのは、オニユリとありました。オニユリは茎にむかごをつけて、種子よりも効率よく増殖するので、オニユリを食べたのだという記述に納得しました。「百合根」は基本的に1個体に1つですから、特別に扱われてきたのかもしれません。そうでなければ、食べ尽くされたかもしれません。小正月の飾りに使われてきたことなど、民俗の研究では記録もあります。また、「百合根」が特別な味でないことも幸いしたのでしょう。しかし、ニホンザルにとってはご馳走なのでしょうか?秩父にある石灰岩地の山、武甲山では、絶滅危惧種のミヤマスカシユリの「百合根」をニホンザルが食べてしまうという話を聞いたことがあります。
植栽されているオニユリ(寄居町 2024年7月30日 )
ところで現在では、ユリは食用よりも鑑賞用に栽培されているようです。農林水産省の統計によると、令和5年度の埼玉県の切り花のユリの出荷量は全国1位です。県内有数の産地である深谷市では、日本に生育するヤマユリやスカシユリの仲間などを交配した園芸品種のユリが栽培されています。先日、本校も取り組んでいる高等学校DX加速化推進事業の視察のために訪れた深谷市にある埼玉工業大学では、ユリの切り花を出荷するときに廃棄してきた茎の切り落とした部分を活用して和紙を作ることに取り組んでいる事を知りました。不要なものを活用することは、環境に負荷がかからないのであれば良いことかもしれません。本校も竹あかり部が、モウソウチクのような太いタケの稈(かん:イネ科の中空な茎のことの)に穴を開けて中に入れた照明を灯す「竹あかり」を作っています。そのことによって管理されなくなった竹林によるいわゆる竹害の防止にも多少の貢献をしています。
2024年6月 東洋のガラパゴス
6月20日(木)から6月22日(土)まで修学旅行の引率で沖縄本島に行きました。例年沖縄の梅雨明けはこのころで、天候が気掛かりでしたが、沖縄に着いた20日に沖縄地方が梅雨明けしたとみられると発表がありました。旅行期間中、雨に降られることなく、南国の日差しの中、生徒達はいつもと違う経験ができた良い修学旅行になったと思います。
さて、沖縄県を含むいわゆる琉球弧の地域は、「東洋のガラパゴス」などと呼ばれます。ここでいう琉球弧は、鹿児島県の奄美地方から沖縄県の先島地方までの島々です。ガラパゴスとは、赤道直下にあるエクアドルのガラパゴス諸島を指しています。琉球弧は島々からなり、その中で一番面積が大きい島が沖縄本島です。そのほか、奄美大島や西表島などが面積の大きい島としてあります。
では、なぜ沖縄が「東洋のガラパゴス」と呼ばれるのでしょうか。「東洋の」については、沖縄が東洋に位置するからです。次に「ガラパゴス」については、ガラパゴス諸島に似ているところがあるからです。まず、沖縄もガラパゴス諸島も島であることです。加えて、どちらも周辺の他の地域にはいない固有の生物が多いことが共通点といえるでしょう。
修学旅行のコースでは、なかなか固有の生物を見ることはできませんが、宿泊した沖縄本島の北部は山原(やんばる)と呼ばれ、沖縄本島では、自然豊かで生物多様性が高い地域です。移動中の車窓から山原の森林の様子を見ることができました。
1999年6月15日撮影 山原(沖縄県国頭郡国頭村)の森林
山原の森林は、小鹿野の周辺で見られる自然林とかなり様子が違います。なぜなら沖縄県と埼玉県の小鹿野町とでは気候が違うからです。気候による植生の違いは、気温と降水量が主な要因といえます。先に降水量ですが、沖縄気象台の1991年から2020年のデータによると、那覇の年間降水量は、平均2161mm、秩父市の平均年間降水量は、秩父測候所の1991年から2020年までのデータによると平均1375.3mmで、那覇の降水量は小鹿野町の隣の秩父市のおよそ1.5倍ということです。次に気温ですが、冬の気温が沖縄県と秩父地域では大きく異なることは、いうまでもありません。気温の違いは生育する植物の違いにつながることも皆さんはよく知っている事だと思います。気温と植生の関係を表す指標に「暖かさの指数」と言うものがあります。これは、植物が生育可能とされる気温を5℃として、各月の平均気温との差を求め、それらを合計したものです。この暖かさの指数が高いと暖かいということになります。沖縄県那覇市は、全ての月の平均気温が5℃を超えており、暖かさの指数が205.8になりました。それに対して小鹿野町の隣の秩父市では12月から2月までの平均気温は5℃よりも低く、暖かさの指数は、108.2でした。これらの数値によると、那覇は亜熱帯、秩父が暖温帯にあたることになります。暖温帯であれば、常緑広葉樹が優占する照葉樹林が発達する気候ですが、現在目にするのは、落葉広葉樹が優占する夏緑樹林です。これは過去30年のデータをもとに計算したため起きているということです。地球温暖化とよく言われますが、確かに平均気温が高くなっているのでしょう。今の植生ができたのは、より冷涼なときであり、植物が分布を広げるスピードは緩やかなので、現在の気候が続いてもすぐには照葉樹林に変わることはないのです。
話が難しくなりましたが、気温が違うことで、沖縄県の植生は埼玉県とかなり違っていることを2年次生の皆さんは見ることができたでしょうか?また沖縄本島でも、南部は太平洋戦争で植生が失われましたが、北部は豊かな森林が広がっているところがたくさんあります。修学旅行では、山原の自然豊かな場所には行きませんでしたが、沖縄本島の最北部にはヤンバルクイナも生息しています。卒業してから改めて出かけてみると良いと思います。また、宿泊した宿はすぐ前が海で、海岸近くに生える植物もたくさん見られました。2年次生の皆さんが撮影した写真にも沖縄らしい植物がたくさん写っていることと思います。それ以外にも偶然面白いものが写っているかもしれません。楽しかった修学旅行を振り返りながら探してみてください。
アダンなどが生える海岸の植生(沖縄海洋博公園前の海岸)
グンバイヒルガオ(沖縄海洋博公園前の海岸)
2024年5月 外来生物
今月は、各地で増えている外来生物についてお話しします。最初は、今の時期にとても目立つオオキンケイギクから紹介します。オオキンケイギクは、河川敷や道端や空き地、庭などで鮮やかで橙黄色の頭花を咲かせているキク科の植物です。北アメリカ原産の多年生草本で、高さは70cmほどになります。緑化用や鑑賞用として1880年台に導入されたそうです。繁殖は旺盛で、日本の侵略的外来種ワースト100にもあげられています。平成16年に制定された特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律の特定外来生物に指定されています。オオキンケイギクは、河原などで大きく育ち、ほかの在来の特に草本植物の生育場所を奪ってしまうことが大きな問題となっています。
空き地のフェンス近くに生えていたオオキンケイギク
オオキンケイギクの頭花
また、学校の近くの水路には、ユーラシア大陸原産のオオカワヂシャが生育していました。こちらも多年生草本で、河川や湿地、水田などに生え、高さ1m程になります。根茎で栄養生殖して在来の植物の生育場所を奪ってしまいます。さらに問題なのは、日本在来のカワヂシャと交雑していることです。在来のカワヂシャの生育地などで雑種が見つかることがあり、西日本では場所によっては、交雑個体に置き換わりつつあるそうです。雑種個体は、花を咲かせて発芽する種子を作れなくても、多年生で大きく育ち、やがて在来のカワヂシャの繁殖を圧倒していきます。
水路に生えていたオオカワヂシャ
葉の縁に鋸歯が目立たないオオカワヂシャ
特定外来生物には、植物以外にも多くの生物が指定されています。例えば、哺乳類のアライグマ、千葉県に定着しているキョンや小鹿野町高校でもさえずりがよく聞こえる鳥類のガビチョウ、魚類ではオオクチバスやコクチバス、サクラ属を食害する昆虫のクビアカツヤカミキリなどがよく知られている特定外来生物だと思います。
ここで、外来種とはどのような生物か改めて確認します。外来種とは、もともとその地に生態系がありますが、そこに新たにヒトによって持ち込まれてくる生物です。一般的には、比較的近年に国外から持ち込まれたものをイメージしがちですが、例えば、もともとは西日本だけに生育または生息していて、人の活動によって東日本に分布を広げた種も、国内由来の外来生物となります。コイはそういう例の一つです。コイは各地で放流されていますが、この場合も外来生物といえます。そしてコイが放流された場所では、在来のコイとの交雑、他の魚類や淡水性の無脊椎動物や淡水性の植物や藻類などを食べてしまうことなどが起きています。文献で水生植物や車軸藻類の生育記録がある池や沼でも、コイが放流されたところでは、そのような種が絶滅していることがあります。似たようなケースとして、釣りの対象であるヘラブナという魚がいます。ヘラブナは琵琶湖・淀川水系の固有種であるゲンゴロウブナの系統の魚で、これも養殖されて各地で放流されています。ヘラブナ自体の環境への影響は、不明とされていますが、放流された釣り場は、富栄養化が進み、淡水性植物や藻類への影響がないとはいえないでしょう。因果関係は不明ですが、かつて県内でも多くの車軸藻類が生育していた池沼がヘラブナ釣り場になっていて、車軸藻類の生育が確認できなくなったところがあります。
このようにいろいろな状況があって、人の活動も止めることもできないので、外来生物の問題解決は大変です。奥が深い問題ですから探究してみることも良いかと思います。
外来生物が在来の生育環境を奪ってしまう、食べてしまう、在来の種と遺伝的に混ざってしまうなど、様々な問題があります。日本の豊かな生態系を後世に残すために、今を生きている我々の責任ある行動が不可欠です。そのためには、自然のことについて関心を持ち、色々と知ることが大切です。自然豊かな小鹿野の地で学ぶ生徒の皆さんもぜひ、身近な自然に目を向けてください。
2024年4月 所変われば品変わる
新年度が始まりました。新入生の皆さんは、そろそろ学校に慣れてきたことと思います。周りのことに興味を持つ余裕も出てきたでしょうか?ところで皆さんは自然のことに関心がありますか?生徒の皆さんの多くは秩父地域に住んでいるので、自然豊かなことが当たり前で、素晴らしいことに気がついていないかもしれません。
さて、「所変われば品変わる」という言葉を聞いたことがあると思います。精選版日本国語大辞典を引いてみると、「土地が違えば、それに従って風俗や・習慣・言語などが違う」と書いてありました。植物も「所変われば品変わる」のです。
昨年度4月の校長ブログで、小鹿野町との縁について書きましたが、小鹿野町の二子山は、私にとって忘れることができない山です。二子山の山頂付近は、石灰岩が露出していて、ロッククライミングでも親しまれています。石灰岩地には同じ秩父地域でも例えば両神山のような珪質の岩石でできている山とは違う植物が生育する傾向があります。例えば石灰岩地には石灰岩地特有の植物が生育するということです。同じようなことが、蛇紋岩地の山でもみられます。まさに「所変われば品変わる」です。石灰岩地に生育する種類の場合、石灰岩地の土壌に含まれるカルシウム分などが生育に不可欠な植物であるという可能性と、高濃度のカルシウムイオンに耐性があるという可能性が考えられます。石灰岩地にだけ生育する植物でも、栽培してみると、石灰岩を必要としないものもあるということですから、種間の競争を避けて過酷な石灰岩地を生育の場としているものが多いのかもしれません。また、石灰岩地でみられる現象としては、通常は、石灰岩地に生育が限られない種類が、分布の限界に近いところでは、石灰岩地に多く生育するというようなことが知られています。蛇紋岩地でも同じようなことがあります。そのような植物の例がヤマブキです。
ヤマブキ
ヤマブキは、斜面などに生育する高さ1mほどの落葉低木です。秩父地域では、4月ごろ黄色で5枚の花弁を持つ直径3cm程度の花を咲かせます。ヤマブキの花は鮮やかな黄色で、その色を山吹色ということもあります。また、その色から小判や大判のことを山吹色と言ったりもします。さて、このヤマブキは、朝鮮半島や中国にも分布していますが、国内では北海道、本州、四国、九州に分布しています。南限に近い四国の高知県や九州の熊本県では、ヤマブキが石灰岩地に生育する傾向があるというような記述が植物誌などに見られます。また、秋になると赤い実を付けるナンテンも熊本県などでは、石灰岩地に生育することが多いとされています。ナンテンは、「難を転ずる」として縁起物の植物です。赤飯の上に葉の一部が乗せてあることもあるので、みたことがあるかもしれません。
校長室の前の植え込みに生えたナンテン
このように植物も「所変われば品変わる」のです。本校では、6月に修学旅行がありますが、沖縄県に行くとまた、植物が違います。日本は、北から南まで国土が広がり、そこに生育する植物も大きく変わります。修学旅行では、沖縄の景観にも注目してもらいたいと思います。また、埼玉県は海なし県ですが、一番高い三宝山から平地までの標高差は2,500m近くあります。そして、石灰岩地など地質も多様です。まもなくゴールデンウィークですが、旅に出るときは、その地の自然にも注目すると、旅行の楽しみが広がると思います。
2024年3月 サクラではない「サクラ」
3月下旬になり、ソメイヨシノはまだですが、サクラのなかまの開花が始まってきました。サクラは、バラ科のサクラ属の植物の総称ですが、和名にサクラが入っているけどサクラのなかまではない植物も多く知られています。例えば、埼玉県の花「県花」は、サクラソウという植物です。
田島ヶ原のサクラソウ
県内ではさいたま市桜区の田島ヶ原に生育地があり、国の特別天然記念物として保護されています。サクラソウは、江戸時代には、花見の対象にもされていたそうです。本来は川の氾濫原で土砂が堆積した湿地などに生育していました。現在は、治水工事が進み、氾濫が起こらなくなり、ヨシの刈取をしたり、火入れをしたりするなど人の手が入ったりするような場所で、遷移が進みにくい場所に保護されて生育しているような植物です。田島ヶ原では1月に火入れを行い、地表に光が届くようになり、遷移も進まないようにしているそうです。田島ヶ原には、そのほか、先月の校長blogに書いた「春植物」であるジロボウエンゴサクやアマナなども生育しています。
ジロボウエンゴサク
アマナ
さて、実は小鹿野の地にも今の時期に花が咲くサクラではない「サクラ」が生育しています。フサザクラです。
開花が近いフサザクラ
フサザクラという植物は世界的には珍しい植物といえます。フサザクラのなかまであるフサザクラ科はアジアに固有で、フサザクラ属の1属だけでできています。フサザクラ属には2種が知られていて、そのうちの1種であるフサザクラが、本州、四国、九州に分布しています。秩父地域では特に珍しいものではありません。生育環境は、谷沿いの急な斜面などです。10mを超すこともある落葉高木で高さ10mを超すこともあります。今の時期は、ほかの木もほとんど葉をつけておらず、赤い少し変わった花が咲いているので注意していると気がつきます。フサザクラの花には、花びらである花被や、萼がありません。多数の赤い雄しべのやくが房状に下がっていることからフサザクラという和名になったといわれています。
花被や萼がなく雄しべが目立つフサザクラの花
花の時期以外は特に目立つ植物ではありませんし、花も特別目立つものではないですが、皆さんの近くに世界的に珍しい植物がひっそりと生育しています。明日からいよいよ新年度が始まりますが、小鹿野高校で学ぶ皆さんは、せっかくですから、まわりの豊かな自然にも気をとめて充実した学校生活を送ってもらいたいと思います。
2月 春の妖精
今年は暖冬と言われていますが、上旬には、小鹿野町を含めた関東地方太平洋側の地域でも積雪がありました。中旬には最高気温が20℃を超えるまで上がった日もありました。日照時間も延びて、植物も春に向けて動き出しています。今月は春の妖精(spring ephemerals )ともいわれる「春植物」についてお話しします。
皆さんは春の花というと何を思い浮かべますか?サクラという人が多いかも知れません。また、ウメという方もあるでしょう。しかし、これらは春に花を咲かせますが、春植物ではありません。春植物というのは、ちょっと変わった生活様式の植物です。春植物は、単に春に花が咲く植物ではなく、一年のうちで春の短期間だけ地上に葉を展開して花を咲かせ、種子を作り、夏ごろまでには地上部を枯らして見えなくなるような生活をする多年生の植物です。一年のほとんどを休眠状態で過ごすので、地下茎などを発達させて生育に必要な栄養などを蓄えています。地下部が発達している春植物のカタクリは、地下の鱗茎にデンプンを蓄えます。そこから取り出したデンプンが、もともとは片栗粉として利用されてきました。
カタクリ(撮影地 新潟県)
小鹿野町には、セツブンソウという春植物の生育地があります。セツブンソウは、キンポウゲ科の草本で、開花期が2~3月ごろであることからセツブンソウと呼ばれています。秩父の地域では、2月の終わりごろから咲くことが多いと思います。下の写真は2007年に旧両神村で撮影したものです。この写真から生育環境の特徴がある程度わかります。落葉広葉樹林下で低木や常緑の草本が少なく春の開花期に地表まで良く光が届くような場所です。あわせて、芽を出して葉を開く時期にある程度、土壌が湿っていることも重要です。したがって、春植物が生育しやすい環境は、適度に土壌が湿っている落葉広葉樹林下で、低木層や草本層が発達していない場所という感じです。低木や草本層が発達しない環境は、人の手が入ることで維持される里山の自然だったりします。
旧両神村のセツブンソウ生育地
セツブンソウ
通常、植物は個体間でも種間でも光合成のために光を奪い合います。しかし春植物は、落葉広葉樹林の植物が葉を展げるころには一年分の地上部の活動を終えるため、他の植物と光を奪い合うことなく生育できます。つまり空間は一緒でも時間が一緒にならないような仕組みになっているわけです。これも限られた資源を有効に活用する植物の生存戦略のひとつと言えるでしょう。このような「春の妖精」が学校がある小鹿野町内で見られます。スギ花粉で辛い人もいるかも知れませんが、春を感じに出かけてみると新たな視点が得られるかも知れません。
1月 探究のすすめ
始業式では、元日の災害のことや新しい年を迎えるにあたり目標を立てようとお話ししました。私もいくつか目標を立てました。今月は、探究に力を入れてもらいたいというお話をします。
私は、大学を選ぶときに教職を目指しましたが、生物分野での研究にも興味がありました。私が生物分野に興味を持ったのは、小学生になるより前のことでした。当時、ありがたいことに生物に詳しい大人が私の身近にいました。その人の影響を受けて生物全般に興味を持ったのだと思います。それに加え、牧野富太郎氏による植物図鑑、いわゆる「牧野図鑑」にも大きな影響を受けました。最近の図鑑は、きれいなカラー写真が掲載されていて、見た目も美しく見ているだけでも楽しいものですが、「牧野図鑑」は、スケッチを基にした線画で植物を描いていて、一見地味です。しかし、写真では、細かい形態がわからないことも多く、丁寧に描かれた線画は大変優秀だと感じています。
そのようなわけで私は植物のことを調べることに興味を持った子供でした。小学生のころ植物の興味の対象は、花が咲く種子植物でしたが、「牧野図鑑」でとても気になっていたものがあります。シャジクモやフラスコモといった車軸藻類です。車軸藻類は、淡水や汽水に生育する立体的な構造の比較的大きな藻類です。その線画を見て、生きている車軸藻類を見たいと強く思いました。しかし、残念なことに、高度経済成長期と呼ばれた1950年代から1970年代には、宅地や工業用地の造成など開発が進んでいました。池沼は富栄養化が進み、コイや草食性の外来魚の放流なども多く、陸水系の環境は悪化していました。私が車軸藻類を調べたいと思ったころには、県内で車軸藻類をほとんど見ることができなくなっていました。かろうじて、見ることができたのはシャジクモです。これは水田にも生育していて、家の近くでも見ることができましたが、そのほかの車軸藻類は見ることができませんでした。
シャジクモ(埼玉県産)
それから大人になってもなかなかシャジクモ以外の車軸藻類との出会いはありませんでした。しかし、機会はやってきました。あきらめないことで思いがかなったのです。遂に10数年前にシャジクモ以外の車軸藻類と出会いました。そして、子供のころの思いがよみがえってきました。「車軸藻類のことを調べたい」と。
クサシャジクモ(沖縄県の水田脇の水路に生育)
日本の車軸藻類の研究は1950年代にかなりまとまっていたようですが、前述のとおり、生育環境の悪化が原因で、ほとんどの車軸藻類は絶滅危惧種になっています。しかし昨今、環境問題に対する意識が高まり、環境が改善されてきている面もあります。それに加え、車軸藻類の有性生殖で造る卵胞子は、生育に適する環境ができるまで60年も休眠できるといわれています。
ミルフラスコモの卵胞子(群馬県産)
実際に、東京都三鷹市の井の頭恩賜公園の池で、およそ60年ぶりにイノカシラフラスコモが再発見されています。井の頭公園の池は1957年に発見されたイノカシラフラスコモの基準産地だったのですが、1963年に池の水が干上がり、その後イノカシラフラスコモは見つかっていませんでした。2016年にかいぼりを行い、池の水を全部抜いて乾かしてから、改めて水を入れたところ、イノカシラフラスコモが復活したそうです。他にも、各地で休耕田やため池などで車軸藻類が再発見されたなど報文があります。私も県内を中心に調査を始めました。去年は、フィールドの調査で成果がありました。今年はその成果を形にしていくことが目標の一つです。1950年代の文献や最新の文献、中には英語で書かれている論文もありますが、それらを読んでみたり、現地調査を行ったり、観察し記録をすることなど、研究するにあたりやるべきことはたくさんあります。これはとても楽しい時間の使い方です。
皆さんも学校では「総合的な探究の時間」があります。「探究」これは研究と言い換えても良いと思いますが、探究を通して何か物事を極めていくことの楽しさを味わってもらいたいと思います。そして身に着けた探究の手法は、皆さんが社会で出会う様々な課題に対応できる力になると思います。
12月 寄生植物
先日無事に2学期を終業式を終えて冬季休業に入りました。学校から見える山の様子もスギやヒノキの人工林を除き、ほとんどの木々は落葉して厳しい冬の時期を過ごします。葉を付けていない方がエネルギーの収支で有利なのでしょう。
今月は、少々変わった植物である寄生植物を紹介します。
はじめに植物の特徴を確認します。植物の特徴は?というと、第一に葉緑体が細胞にあり、光合成をする生物であることではないでしょうか。昨今の環境問題でも大気中の二酸化炭素が増加していることが問題視されています。二酸化炭素の削減には、植物や藻類など光合成をおこなう独立栄養生物に頼ることが無理や無駄のない方法だと思います。植物や藻類が炭素固定する過程を光合成と言いますが、陸上の緑色植物が炭素固定で生産する有機炭素化合物は、グリーンカーボンとよばれ、主に海水性の植物や藻類が炭素固定により生成する有機炭素化合物をブルーカーボンとよんでいます。植物や藻類による光合成は、環境問題解決の鍵と言えます。
話は戻り、寄生植物ですが、文字どおり寄生をする植物のことです。寄生とは、ある生物が、違う種の生物と共に生きていて、一方が栄養などを継続的に奪っている関係性のことです。共生の極端な形ということができると思います。奪う側は、寄生者といい、奪われる側は、宿主(しゅくしゅ)といいます。寄生者の方が宿主より小さいことの方が多いです。食う食われるの関係で小さい種類が大きい種類を少しずつ食べているというイメージもできそうです。
寄生という関係が植物間に見られる場合、寄生者のことを寄生植物といいます。寄生植物とよぶ植物は、まとまった系統ではなく、いくつかの科にみられます。本来は光合成をして炭素同化する植物が、他の種類の植物から栄養などを奪うようになっていますので、およそ植物らしくないと言えます。そのためか、寄生の度合いが強いものは、ほとんど緑色をしていません。下の2枚の写真の寄生植物は、鹿児島県の奄美大島で2004年の12月に撮影したものです。葉緑素がなく、赤かったり、白っぽかったりと植物らしくない色をしていますね。
ヤクシマツチトリモチ
ヤッコソウ
寄生植物は埼玉県内にも生えています。先月小鹿野高校の敷地内にも生えているのを見つけました。この植物は、アメリカネナシカズラというヒルガオ科の植物です。その名のとおり、根がないつる植物です。このなかまは、種子が発芽して宿主になる植物に絡みつくと、寄生根で宿主の茎に自分の維管束をつなげます。そうすると、もともとあった根は不要になり、融合した部分から下はなくなります。色も緑色をしていません。全く光合成をしない全寄生植物です。
駐車場の植込みに生えていたアメリカネナシカズラ(黄色いつる状のもの)
アメリカネナシカズラの花
また、寄生植物には、半寄生植物というものもあります。ヤドリギは半寄生植物で自らも光合成を行うため、緑色をしています。宿主が落葉する今の時期は緑色の塊に見えるヤドリギがとても目立ちます。特に珍しいものではないのですが、果実がキレンジャクやヒレンジャクなどの鳥に食べられた後、種子が糞と一緒に木の枝の上に排出されて、うまくそこで発芽できると、宿主の樹種の枝の中に侵入していきます。そのため、ヤドリギの分布は、果実を食べる鳥の行動範囲と関連すると言われています。県内では秋ヶ瀬公園などキレンジャクやヒレンジャクがよく見られるところにヤドリギが生えていることが多いようです。下の写真は群馬県前橋市の大室公園で2022年の3月に撮影したものです。ここもヒレンジャクやキレンジャクの飛来地として有名だそうです。冬は落葉樹に寄生するヤドリギをみるチャンスです。これから春の芽吹きまでの間、どこかに出かけたときに、上も見上げてみてください。
落葉しているサクラに寄生しているヤドリギ(緑色の部分)
11月 紅葉
秋になると植物の葉が色づきます。一般的に紅葉と呼んでいる現象です。この時期に紅葉する樹木は、主に落葉樹という生活スタイルの植物です。紅葉した後、葉を落として冬を過ごすことになります。これに対して常緑樹というものがあります。こちらは1年を通して葉が付いているように見える樹木です。落葉樹は落葉している時期によって夏緑性、冬緑性と分けることができます。秋に紅葉しているのは夏緑性の樹木ということになります。
紅葉と漢字で書き「もみじ」と読ませることもあります。古語に「もみいづ」という動詞があります。これは、葉をもむことによって色が出てくるというような意味で、これが「もみじ」の語源だと言われたりしています。古今和歌集にもこの言葉が使われている和歌があるようです。
「もみじ」というと、紅葉する現象のほかに、カエデ属のことを指す場合があります。カエデ属は、「かへるで」つまり、カエルの手という意味と言われますが、多くのカエデ属の葉は、掌状に切れ込んでいることで、この形がカエルの手に似ているとされたようです。「かへるで」という語は万葉集の和歌でも使われているそうです。
小鹿野高校に植栽されているカエデ
カエデ属は、庭園にもよく植えられていて、赤や黄色に美しく紅葉します。カエデ属の材は様々なものに利用されます。樹液はメープルシロップの材料にもなります。秩父地域ではイタヤカエデなどの樹液から作った、いわゆるメープルシロップを使ったお菓子などを生産しています。メープルシロップというとカナダのものが有名で、カナダの国旗にはその材料が採れるサトウカエデの葉がデザインされていますので、皆さんも見たことがあると思います。県産のメープルシロップは、イタヤカエデのなかまから採った樹液を原料にしていると聞いたことがあります。
さて、紅葉の仕組みについて説明します。詳しいことはよくわかっていない部分がありますが、通常2つのパターンで説明されます。その前に共通することですが、落葉の時期が近づくと、葉柄の基部、つまり葉の付け根付近に離層という細胞構造ができます。そして時期が来ると、ここからぽろりと葉が落ちるようになります。この離層が形成される状況は、葉の維持に大きなコストがかかるときです。植物は、基本的に光合成をして炭水化物を生成しますが、その産み出すエネルギーと生活に必要なエネルギーの収支のバランスで消費が生産を上回るときには、葉を落として耐えたりすることになります。
落葉が近いメタセコイア
最初に、黄色く色づく現象ですが、落葉を準備する過程で、光合成色素であるクロロフィルが分解されていきます。そうすると、葉を緑色に見せていたクロロフィルが減るので、緑色が薄くなるわけです。そのとき、葉に残っているカロテン、ニンジンのオレンジ色のもとです(ニンジンは英語でcarrotですが、caroteneと関係がある言葉だと思います)。そのほかの色素などまとめてカロテノイドといいますが、これらの色が見えてくるのが、黄色に色づく仕組みとされています。
黄色く色づいたイチョウ
次に赤く色づく現象ですが、離層が形成されてクロロフィルが分解されるときにアントシアニンという赤や紫色系の色素(6月のスミレの生存戦略で紹介したノジスミレの花の色はこの色素によるものです)が作られ赤く色づくというものです。
小鹿野高校に植栽されているドウダンツツジ
紅葉は植物が低温に適応した仕組みの一つです。植物にとって、低温と乾燥は生育に不適な状況です。生育に不利な状況である冬期に、葉を落として生育に適した時期まで耐え忍ぶわけです。
明日から12月、1年の締めくくりの時期が近づいてきていますが、生徒の皆さんも来年度に向けて、葉が黄色く色づくように、内面の良さを際立たせたり、葉が赤く色づくように、新たな可能性を高めてもらいたいと思います。
10月 校章とイチョウ
10月23日は、小鹿野高校の開校記念日でした。今月は校章に関連したお話です。本校は、昭和28年に埼玉県立秩父農業高等学校小鹿野分校が埼玉県立小鹿野高等学校として設置されスタートしました。校章のデザインは、そのときに選定されたものです。2枚のイチョウの葉の上に高校の「高」が描かれ、ひし形のものは、地元である小鹿野町の町章を形どったものです。本校の母体であった埼玉県立秩父農業高等学校は、現在は秩父農工科学高等学校になっていますが、その校章にもイチョウがデザインされています。
小鹿野高校の校章
このようにイチョウは、本校のシンボルではありますが、学校の敷地内に植えられているのはわずかに1本だけです。生徒のみなさんはどこに植えられているか知っていますか?敷地の内の国道側に注目してください。事務室の近くです。
本校敷地内唯一のイチョウ
さて、イチョウとはどんな植物でしょうか?これから秋が深まると黄色く色づき、我々の目を楽しませてくれます。また、実のぎんなんは、茶わん蒸しには欠かせない食材だと思います。
このイチョウは裸子植物という分類群の植物です。裸子植物にはソテツやマツ、スギなども含まれます。裸子植物なので花を付けますが、どれもみなさんが普通に花としてみている花とは違い、花とイメージしないような花を持つ植物です。
裸子植物のイチョウのなかまは、古生代ペルム紀に現れ、中生代に栄え新生代になって今のイチョウ( Gingko biloba )だけが生き残りました。今は世界各地に植栽されていますが、もともとは中国には自生していた、まさに「生きている化石」です。小鹿野高校のある小鹿野町には「おがの化石館」があります。そこに問い合わせたところ、残念ながら小鹿野町からイチョウの化石は見つかっていないとのことでした。
話は戻って、イチョウは雌雄異株の植物です。性別が雄の個体と雌の個体があるということです。つまり、実であるぎんなんは雌の木に着くことになります。しかし、雄の木に実ができたという事例もあります。
私は以前、「オハツキイチョウ」という現象を調査しました。県内だと春日部市の寺院でも知られていますが、山梨県の身延市には「オハツキイチョウ」が3本あり、そのうちの2本は国指定天然記念物になっています。写真からわかるように葉のふちに小さいぎんなんが付いているので「お葉付き」イチョウというわけです。これら国指定天然記念物の2本は雄と雌で別々の場所に植えられています。当然、雄の木にはぎんなんは付かないのですが、葉のふちに何かついている感じでオハツキイチョウであることがわかります。時期を変えて2度調査に行ったのですが、2回目の調査で雄個体にぎんなんができていることが見られました。調査から帰って調べると、その1年前くらいだったと記憶していますが、この雌の個体に実ができたという報文を見つけました。やはり、地元でよく見ている研究者にはかなわないと痛感しました。みなさん身の回りのことに注目して何か調べると思わぬ発見に出会うかもしれません。
オハツキイチョウのぎんなん(写真中央 葉のふち)と通常のぎんなん(写真右)
9月の植物 ヒガンバナ
暑かった夏が終わり朝晩かなり涼しくなってきました。「昔から暑さ寒さも彼岸まで」などと言いますが、今年もそのとおりになってきました。「お彼岸」は年に2回あり、秋分の日と春分の日のそれぞれその前後3日間を合わせた7日間が「お彼岸」です。
さて、9月の中下旬ごろ、田のあぜなどで赤い花を咲かせる植物が目立ちます。その名もヒガンバナです。秋の彼岸のころ咲くことから標準和名がヒガンバナです。とても目立つ花なので、県内でもヒガンバナがたくさん咲く観光地は有名です。このヒガンバナは、もともと中国原産で日本に帰化した外来植物です。
ヒガンバナは少し変わった生活をしています。ヒガンバナの1年を簡単に説明すると、開花している9月ごろには葉がありません。冬が近づくと葉を出します。その葉で光合成を行い、地下部にある鱗茎(りんけい)に養分を蓄えます。翌年の夏の前までに葉を枯らし彼岸のころまで地上部は見えません。これの繰り返しです。
路傍に咲くヒガンバナ
ところで外来植物のヒガンバナはどうして日本に渡ってきたと思いますか?花がきれいだから持ち込まれたのでしょうか?その答えは、鱗茎の養分に注目したからとなります。鱗茎(りんけい)とは皆さんがよく使う言葉でいうと「球根」です。ヒガンバナは、鱗茎を食べて飢饉のときの生き残るための救荒植物(きゅうこうしょくぶつ)として持ち込まれたようです。しかしいろいろと試したくなる私でも、ヒガンバナは食べたことがありません。なぜならヒガンバナは有毒植物として知られているからです。ヒガンバナのなかまはLycoris という属名の植物です。Lycoris にはリコリンという毒物が含まれています。飢饉のときなど、どうしても食べなければならない状況で、リコリンを取り除き食べたようです。十分に取り除くことができなければ健康に害があったことでしょう。そんなことから、ヒガンバナが救荒植物として使われたのは、新たな救荒植物、例えばサツマイモなどが普及すると使われなくなったと思われます。
ヒガンバナは外来植物にも関わらず、注目されてきた植物といえます。その理由は、数多くの和名があることです。標準和名はヒガンバナで、これは図鑑にのっている日本全国共通の呼び名です。しかし、「方言」にあたる和名などたくさん知られています。例えば「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は有名です。皆さんの御両親や祖父母の皆さんに聞いてみると、意外な呼び名があるかもしれません。私が育った県北地域でも住んでいるところで呼び名が少しずつ違っていました。私が小さいころ、近所のシニア世代の方は、「はっかけばばあ」と呼んでいたことを記憶しています。良い印象の言葉ではないですね。後に文献などで知りましたが、ヒガンバナの方言には「はっかけばな」という和名がありました。おそらく花が咲くときに葉を欠く、つまり「葉欠け花」と推測できます。そうすると、「はっかけばばあ」は「葉が欠ける」が「歯が欠ける」になり、「ばな」が「ばばあ」となったのではないかと納得しました。
このように調べてみると知らないことがたくさんあります。皆さんが取り組む探究活動によって、今まで知らなかった事実に到達するかもしれません。研究することは大変おもしろいことです。皆さんもこれからの生活で自分でいろいろなことを調べることの基本を総合的な探究の時間の取組で身に付けることができると思います。探究活動にじっくり取り組んで下さい。
葛藤とはクズとフジが絡み合った状態
夏休みが終わりが近づき、クズの花が咲き始めています。今月は、クズにまつわる話を紹介します。
葛藤という言葉を聞いたことがありますか。イメージとしては2つまたはそれ以上の対立するものが心の中などにあり、どれか一つを選ぶことをすごく迷っている状態などが葛藤だと思います。
葛藤は「葛」と「藤」の字から成り立っていますが、どちらも部首が「くさかんむり」なので植物に関係ある字であることに気が付くでしょう。「葛」は、「かずら」とも読み、この場合は、つる植物全般を指すような言葉です。また、「くず」とも読みます。「くず」と読ませる場合は、クズという植物のことになります。一方「藤」は、「ふじ」と読めば、フジという植物を指しています。また、「とう」と読ませる場合は、つる性の木本植物の茎のことを指します。似たような言葉に蔓という言葉があります。「まん」「つる」と読みますが、こちらは草本植物つまり、つる性の草の茎のことをさしている言葉です。今では「とう」よりも「つる」という言葉が一般的だと思います。ここまでで大体わかると思いますが、葛藤とは、つる植物が絡み合う様を表していて、心ががんじがらめになっている状態ということです。
さて、ここからは植物のクズとフジの話です。クズもフジもマメ科のつる植物です。クズは、斜面や空き地などに生えるつる性多年性の草本で繁殖力が旺盛です。その繁殖力の高さから国際保護連合(IUCN)が定めた世界の侵略的外来種リストワースト100にも選ばれているほどです。しかしマイナス面ばかりではなく、クズは古来、様々な使われ方をしてきました。例えば、根に含まれるでんぷんを葛粉と言い、葛切りや葛餅などの材料にしました。同じく根を乾燥させたものを葛根といい、漢方薬「葛根湯」の原料の一つです。私は、春に伸び始めた新芽をぽきっと折り、天ぷらにして食べたこともあります。
フェンスを覆いつくすクズ | クズの花 |
日本のフジ属には、フジ(ノダフジ)とヤマフジがあります。寺院などに植えてあることも多いフジは花序(花の集まりのこと)が長く伸び、1mにもなります。それに対し、ヤマフジは自然に埼玉県で生育していないようですが、花序は10~20cm程度。つるの巻き方にも違いがあり、フジは、向かって右から左に巻き、ヤマフジは反対に左から右に巻きます。そのため花が咲いていない時期でも区別できます。フジは観賞用に栽培されるほか、つるが木質で丈夫なため、つるを編んで道具を作ったり、茎の繊維を使い布にして使っていたりしたことがあるそうです。花を天ぷらにして食べたこともあります。毒があると書いてあったりするwebページもあるので、食べるなら自己責任でチャレンジしてください。
向かって右から左に巻くフジ
8月も残すところあと2日です。生徒の皆さんは新学期にさまざまな葛藤があるかもしれませんが、困ったことがあれば職員に相談してください。下の写真くらいの絡み方なら何とか解消できそうですね。絡み合ったつるをほぐし、すっきりとした気持ちで新学期を迎えられることを期待しています。
クズとフジが絡み合った様子 まさに葛藤か
小鹿野高校校歌にある「叡智の花」
7月20日に1学期の終業式がありました。夏季休業を前に私からは、4月の入学式や始業式で生徒の皆さんに話した内容を振り返り、夏休み中にもいろいろとチャレンジしてもらいたいというようなお話をしました。そのほか終業式では、みんなで校歌を歌いました。小鹿野高校の校歌には、「青春の叡智の花は この庭に今こそ開く」というフレーズがあります。今月の校長Blogは、校歌の歌詞にある植物についてのお話です。
当然、「叡智の花」はたとえだと思いますが、念のため「叡智の花」とよばれる植物があるのか調べてみたところ、花言葉が「叡智」という植物が見つかりました。
その前にまず「叡智」という言葉が難しいので、こちらも調べてみました。小学館 精選版 日本国語大辞典によると「叡智」には以下の2つの意味が書かれていました。
1 すぐれた知恵。真理を洞察する精神能力
2 哲学で直面する理論的実践的諸問題を効果的に処理する知能
このことから校歌のフレーズ「青春の叡智の花は この庭に今こそ開く」は、生徒の皆さんが小鹿野高校ですぐれた知恵、真理に迫る心を身に着けることを念じたものといえるでしょう。
さて、ここからは、実在する植物としての「叡智の花」についてのお話です。キーワードを「叡智」と「花言葉」でウェブページを検索してみると、「知恵」が花言葉の植物も出てきますが、「叡智」は「すぐれた知恵」となっていますので、花言葉が「知恵」の植物は除外しました。すると叡智の花は、エンレイソウという植物でした。6月の校長Blog「スミレの生存戦略」でも書きましたが、同じようにエンレイソウというと、エンレイソウ属と、エンレイソウという名前の種(しゅ)を指す場合があります。エンレイソウ属はTrillium と属名を書きます。Trilliumという属名の命名者は、スウェーデンの博物学者、リンネです。この属名はスウェーデン語trilling「三つぞろいの」の転化と思われるという内容が小学館ランダムハウス英和大辞典第2版に書かれています。リンネは、生物の名まえを属名と種小名で表す二名法を始めたことでも知られています。二名法は現在も学名の書き方に受け継がれています。
左下の写真を見ると何が「三つぞろいの」かわかると思います。葉の付き方が特徴的です。それに加えてエンレイソウは、地味な花ですが、花びら(花被片)も3枚のように見えます。エンレイソウはユリのなかまです。ユリの花は、右下のミヤマスカシユリの写真だとよくわかりますが、内花被3枚、外花被3枚で花びらが6枚に見えます。しかし、エンレイソウでは目立つ花被は3枚ですね。花というものは葉が変化したものですので、葉が3枚なことと似ているのだと思います。
エンレイソウ(新潟県で撮影) | 花被片が6つのミヤマスカシユリ(栽培品) |
このエンレイソウは、残念ながら小鹿野高校の敷地内には生育していません。しかし、自然豊かな小鹿野町にはエンレイソウが生育していて、二子山や両神山で見たと記憶しています。この地域で地域とともに学ぶ小鹿野高校にとっては、校歌の「この庭」は小鹿野町と、とらえることもできると思います。生徒の皆さん、この自然豊かな小鹿野の地で叡智の花を咲かせてみましょう。
スミレの生存戦略
小鹿野高校に着任して最初に目に留まった植物は、ノジスミレでした。ノジスミレは3月下旬には満開でした。そのほか、敷地内にはコスミレやタチツボスミレなど3種以上のスミレが生育しています。みなさんはスミレの花をよく見たことがありますか?
ここでみなさんが、混乱しないように説明します。「スミレ」という場合、2通りの意味があります。1つ目は、スミレが「スミレ」という種(しゅ)をさす場合です。この場合は、Viola mandshurica がスミレです。観察したところ、学校の敷地内では見ませんでした。2つ目は、スミレがスミレ属( Viola )とかスミレ科( Violaceae )といった種より上位の分類群、「スミレのなかま」を指している場合です。「スミレ」が3種生育という場合は、スミレ属とかスミレ科を指しているということになります。ここでは、スミレを「スミレのなかま」としてお話しします。
さてスミレを観察したところ、種類によって多少のばらつきはあると思いますが、開花後、3週間後ぐらいで種を飛ばします。果実は3つのパーツからなり、熟すと機械的にはじけて種子が1m程度飛びます。しかし、実際にはもっと離れた場所でも生えていることがあります。どうしてだと思いますか?同じようなことがスミレ以外の植物、例えばカタクリなどでも知られています。スミレの種子にはエライオソームと呼ぶ脂質を含む栄養のある部分があります。このエライオソームはアリにとってごちそうです。アリはエライオソーム目当てで種子を運び、最終的にはエライオソームだけを使います。つまりスミレはアリにごちそうをあげて、種子を運ばせているのです。このことは自分で移動できないスミレがアリを利用して増えるというしたたかな生存戦略を持っているということです。
3つに割れ種子を散布するノジスミレの果実 |
エライオソーム(白い部分)が付いているノジスミレの種子 |
またスミレの果実に注目すると、意外なことにスミレの果実はスミレの「花」を見なくなった6月になっても作られています。これはどういうことでしょう。みなさんは、花というと花びらがあってきれいなものをイメージすると思います。菫色などの言葉があるとおり、花びらがきれいな色をしていると思うでしょう。しかし、スミレのすごいところは、それだけではありません。スミレの花には、みなさんが見たとき花が咲いていると認識する花、「開放花」と、咲いていても気が付かない花、「閉鎖花」の2種類があります。
開放花は、花びら(花弁)があり、昆虫が受粉のために花に来ます。昆虫に対して開放している花ということです。一方、閉鎖花ですが、こちらは見た目にはつぼみのように見えます。こちらは花弁もなく、昆虫の助けを借りず、自動的におしべが伸びて花粉をめしべに付けて受粉します。
では、これらの2種類の花があることにどんな意味があるでしょう?開放花では、昆虫の助けが必要ですが、ほかの個体の花とも受粉できるので、次の世代に遺伝的多様性を伝えることになります。閉鎖花では、機械的に自家受粉を行うので、効率よく種子を作り、散布することができます。つまり、開放花で遺伝的多様性を高め、閉鎖花では効率よく種子を作るわけです。ここにもスミレのしたたかな生存戦略が見えてきます。
みなさんが気にも留めないような生物にもいろいろと面白いストーリーがあるのです。そんな足元の植物にも目を向けてみませんか。
ノジスミレの開放花(3月下旬~4月上旬) |
ノジスミレの下を向く閉鎖花と 散布間近で上を向く果実(6月下旬) |
竹あかりの「タケ」
先日、たけのこご飯を食べました。たけのこは春の味覚などといわれますが、とてもおいしいですね。たけのこは、タケの新芽です。1日で数10cmといった驚異的な成長をします。今回はタケについてのお話です。
さて、生物学の分野では、生きものの名まえを日本語で書く場合は、カタカナで表記することになっています。その場合、竹はタケとなります。タケはイネ科の植物で、木と草の性質をあわせ持っています。タケは硬く大きく育ち、竹林ができるほどです。これは木の性質に近いといえます。また、先日のニュースで植物園のタケが開花したと報道がありました。60年とか120年に一度咲くなど言われています。花が咲くと枯れる種類もあり、一生で1回のみ花が咲くことから草の性質に近いといわれます。このようなことから、タケは木か草かという話になると、タケは木でも草でもない、タケはタケとなります。
ところで、竹といえば皆さんは何を思い浮かべますか? 春の味覚、たけのこでしょうか、タケはざるの材料にもなります。秩父地域ではそばが作られています。ざるそばを思い浮かべる人もいるかもしれません。
また、文学に興味がある人は古典の「竹取物語」を思い浮かべるかもしれません。かぐや姫のお話と言えば知らない人は少ないと思います。「竹取物語」は、平安時代にできた日本最古の物語と言われているようです。竹から生まれたかぐや姫が美しく成長し、様々な人から求婚されるが断り、最後は月に帰っていくというお話ですね。
タケに入っていることを考えると節と節の間にある程度の大きさが必要です。中国やインドシナなどに生育するダイマチクという種類のタケが植物園に植えてあることがあります。これは、節と節の間が60cm、稈(かん ※樹木で幹にあたる部分をイネ科では稈という)の直径が30cm、高さが30mにもなるような世界最大のタケです。そんな大きなタケならば、それこそ生まれた赤子が中に入ってしまうほどです。
一方で、日本の神話「古事記」や「日本書紀」に「すくなひこなのみこと」というとても小さい神様があります。「古事記」や「日本書紀」のお話から推測すると体長は数cmです。これなら日本のタケでも十分に入ることができる大きさといえます。
大きいタケと小さいタケ、どちらのタケがモデルだったのでしょうか?インターネットのサイトを検索すると竹取物語と似たような話は中国にもあるようです。タケのなかまはアジアに広く分布しています。ますますわからなく、昔から気になっていることです。
さて、小鹿野高校では小鹿野町と連携して竹あかりという素敵な取組を行っています。下の写真は、竹あかり同好会の生徒たちが作った竹あかりです。竹あかり同好会に入っていない人もぜひ注目してください。
私と「小鹿野」との縁
私は大学で生物について学びました。そして小学校、中学校、高等学校の教員免許を取り、高等学校の教員になりました。高等学校の教員を目指すようになったきっかっけが、「小鹿野」にあったのです。
今の小鹿野町の地域には、両神山、二子山など標高1,000mを超す山があります。両神山は構成する岩石の多くがチャートの岩峰で、登山道には鎖場がある山です。二子山はいわゆる双耳峰で、西岳と東岳の2つの山頂があり、それぞれ石灰岩が露出している格好いい山です。
私が大学3年生のときに、研究室の4年生の学生たちとこれらの山に調査に行きました。当時、研究室では石灰岩地の植物群落について研究していました。研究室での調査の後も一人で調査に行きました。そのとき、出会いがありました。ある植物との出会いです。これをきっかけにして、私はフィールドワークの面白さに目覚め、高校の教員への道を歩んでいました。そんなわけで、私にとって「小鹿野」というところは特別なところです。
生徒の皆さんも「小鹿野」という素晴らしい地で学んでいるのですから、地域のいろいろな自然や歴史などに触れてみてください。皆さんの一生に大きく影響するような思いがけない出会いがあるかもしれません。