校長Blog
10月 校章とイチョウ
10月23日は、小鹿野高校の開校記念日でした。今月は校章に関連したお話です。本校は、昭和28年に埼玉県立秩父農業高等学校小鹿野分校が埼玉県立小鹿野高等学校として設置されスタートしました。校章のデザインは、そのときに選定されたものです。2枚のイチョウの葉の上に高校の「高」が描かれ、ひし形のものは、地元である小鹿野町の町章を形どったものです。本校の母体であった埼玉県立秩父農業高等学校は、現在は秩父農工科学高等学校になっていますが、その校章にもイチョウがデザインされています。
小鹿野高校の校章
このようにイチョウは、本校のシンボルではありますが、学校の敷地内に植えられているのはわずかに1本だけです。生徒のみなさんはどこに植えられているか知っていますか?敷地の内の国道側に注目してください。事務室の近くです。
本校敷地内唯一のイチョウ
さて、イチョウとはどんな植物でしょうか?これから秋が深まると黄色く色づき、我々の目を楽しませてくれます。また、実のぎんなんは、茶わん蒸しには欠かせない食材だと思います。
このイチョウは裸子植物という分類群の植物です。裸子植物にはソテツやマツ、スギなども含まれます。裸子植物なので花を付けますが、どれもみなさんが普通に花としてみている花とは違い、花とイメージしないような花を持つ植物です。
裸子植物のイチョウのなかまは、古生代ペルム紀に現れ、中生代に栄え新生代になって今のイチョウ( Gingko biloba )だけが生き残りました。今は世界各地に植栽されていますが、もともとは中国には自生していた、まさに「生きている化石」です。小鹿野高校のある小鹿野町には「おがの化石館」があります。そこに問い合わせたところ、残念ながら小鹿野町からイチョウの化石は見つかっていないとのことでした。
話は戻って、イチョウは雌雄異株の植物です。性別が雄の個体と雌の個体があるということです。つまり、実であるぎんなんは雌の木に着くことになります。しかし、雄の木に実ができたという事例もあります。
私は以前、「オハツキイチョウ」という現象を調査しました。県内だと春日部市の寺院でも知られていますが、山梨県の身延市には「オハツキイチョウ」が3本あり、そのうちの2本は国指定天然記念物になっています。写真からわかるように葉のふちに小さいぎんなんが付いているので「お葉付き」イチョウというわけです。これら国指定天然記念物の2本は雄と雌で別々の場所に植えられています。当然、雄の木にはぎんなんは付かないのですが、葉のふちに何かついている感じでオハツキイチョウであることがわかります。時期を変えて2度調査に行ったのですが、2回目の調査で雄個体にぎんなんができていることが見られました。調査から帰って調べると、その1年前くらいだったと記憶していますが、この雌の個体に実ができたという報文を見つけました。やはり、地元でよく見ている研究者にはかなわないと痛感しました。みなさん身の回りのことに注目して何か調べると思わぬ発見に出会うかもしれません。
オハツキイチョウのぎんなん(写真中央 葉のふち)と通常のぎんなん(写真右)
9月の植物 ヒガンバナ
暑かった夏が終わり朝晩かなり涼しくなってきました。「昔から暑さ寒さも彼岸まで」などと言いますが、今年もそのとおりになってきました。「お彼岸」は年に2回あり、秋分の日と春分の日のそれぞれその前後3日間を合わせた7日間が「お彼岸」です。
さて、9月の中下旬ごろ、田のあぜなどで赤い花を咲かせる植物が目立ちます。その名もヒガンバナです。秋の彼岸のころ咲くことから標準和名がヒガンバナです。とても目立つ花なので、県内でもヒガンバナがたくさん咲く観光地は有名です。このヒガンバナは、もともと中国原産で日本に帰化した外来植物です。
ヒガンバナは少し変わった生活をしています。ヒガンバナの1年を簡単に説明すると、開花している9月ごろには葉がありません。冬が近づくと葉を出します。その葉で光合成を行い、地下部にある鱗茎(りんけい)に養分を蓄えます。翌年の夏の前までに葉を枯らし彼岸のころまで地上部は見えません。これの繰り返しです。
路傍に咲くヒガンバナ
ところで外来植物のヒガンバナはどうして日本に渡ってきたと思いますか?花がきれいだから持ち込まれたのでしょうか?その答えは、鱗茎の養分に注目したからとなります。鱗茎(りんけい)とは皆さんがよく使う言葉でいうと「球根」です。ヒガンバナは、鱗茎を食べて飢饉のときの生き残るための救荒植物(きゅうこうしょくぶつ)として持ち込まれたようです。しかしいろいろと試したくなる私でも、ヒガンバナは食べたことがありません。なぜならヒガンバナは有毒植物として知られているからです。ヒガンバナのなかまはLycoris という属名の植物です。Lycoris にはリコリンという毒物が含まれています。飢饉のときなど、どうしても食べなければならない状況で、リコリンを取り除き食べたようです。十分に取り除くことができなければ健康に害があったことでしょう。そんなことから、ヒガンバナが救荒植物として使われたのは、新たな救荒植物、例えばサツマイモなどが普及すると使われなくなったと思われます。
ヒガンバナは外来植物にも関わらず、注目されてきた植物といえます。その理由は、数多くの和名があることです。標準和名はヒガンバナで、これは図鑑にのっている日本全国共通の呼び名です。しかし、「方言」にあたる和名などたくさん知られています。例えば「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は有名です。皆さんの御両親や祖父母の皆さんに聞いてみると、意外な呼び名があるかもしれません。私が育った県北地域でも住んでいるところで呼び名が少しずつ違っていました。私が小さいころ、近所のシニア世代の方は、「はっかけばばあ」と呼んでいたことを記憶しています。良い印象の言葉ではないですね。後に文献などで知りましたが、ヒガンバナの方言には「はっかけばな」という和名がありました。おそらく花が咲くときに葉を欠く、つまり「葉欠け花」と推測できます。そうすると、「はっかけばばあ」は「葉が欠ける」が「歯が欠ける」になり、「ばな」が「ばばあ」となったのではないかと納得しました。
このように調べてみると知らないことがたくさんあります。皆さんが取り組む探究活動によって、今まで知らなかった事実に到達するかもしれません。研究することは大変おもしろいことです。皆さんもこれからの生活で自分でいろいろなことを調べることの基本を総合的な探究の時間の取組で身に付けることができると思います。探究活動にじっくり取り組んで下さい。
葛藤とはクズとフジが絡み合った状態
夏休みが終わりが近づき、クズの花が咲き始めています。今月は、クズにまつわる話を紹介します。
葛藤という言葉を聞いたことがありますか。イメージとしては2つまたはそれ以上の対立するものが心の中などにあり、どれか一つを選ぶことをすごく迷っている状態などが葛藤だと思います。
葛藤は「葛」と「藤」の字から成り立っていますが、どちらも部首が「くさかんむり」なので植物に関係ある字であることに気が付くでしょう。「葛」は、「かずら」とも読み、この場合は、つる植物全般を指すような言葉です。また、「くず」とも読みます。「くず」と読ませる場合は、クズという植物のことになります。一方「藤」は、「ふじ」と読めば、フジという植物を指しています。また、「とう」と読ませる場合は、つる性の木本植物の茎のことを指します。似たような言葉に蔓という言葉があります。「まん」「つる」と読みますが、こちらは草本植物つまり、つる性の草の茎のことをさしている言葉です。今では「とう」よりも「つる」という言葉が一般的だと思います。ここまでで大体わかると思いますが、葛藤とは、つる植物が絡み合う様を表していて、心ががんじがらめになっている状態ということです。
さて、ここからは植物のクズとフジの話です。クズもフジもマメ科のつる植物です。クズは、斜面や空き地などに生えるつる性多年性の草本で繁殖力が旺盛です。その繁殖力の高さから国際保護連合(IUCN)が定めた世界の侵略的外来種リストワースト100にも選ばれているほどです。しかしマイナス面ばかりではなく、クズは古来、様々な使われ方をしてきました。例えば、根に含まれるでんぷんを葛粉と言い、葛切りや葛餅などの材料にしました。同じく根を乾燥させたものを葛根といい、漢方薬「葛根湯」の原料の一つです。私は、春に伸び始めた新芽をぽきっと折り、天ぷらにして食べたこともあります。
フェンスを覆いつくすクズ | クズの花 |
日本のフジ属には、フジ(ノダフジ)とヤマフジがあります。寺院などに植えてあることも多いフジは花序(花の集まりのこと)が長く伸び、1mにもなります。それに対し、ヤマフジは自然に埼玉県で生育していないようですが、花序は10~20cm程度。つるの巻き方にも違いがあり、フジは、向かって右から左に巻き、ヤマフジは反対に左から右に巻きます。そのため花が咲いていない時期でも区別できます。フジは観賞用に栽培されるほか、つるが木質で丈夫なため、つるを編んで道具を作ったり、茎の繊維を使い布にして使っていたりしたことがあるそうです。花を天ぷらにして食べたこともあります。毒があると書いてあったりするwebページもあるので、食べるなら自己責任でチャレンジしてください。
向かって右から左に巻くフジ
8月も残すところあと2日です。生徒の皆さんは新学期にさまざまな葛藤があるかもしれませんが、困ったことがあれば職員に相談してください。下の写真くらいの絡み方なら何とか解消できそうですね。絡み合ったつるをほぐし、すっきりとした気持ちで新学期を迎えられることを期待しています。
クズとフジが絡み合った様子 まさに葛藤か
小鹿野高校校歌にある「叡智の花」
7月20日に1学期の終業式がありました。夏季休業を前に私からは、4月の入学式や始業式で生徒の皆さんに話した内容を振り返り、夏休み中にもいろいろとチャレンジしてもらいたいというようなお話をしました。そのほか終業式では、みんなで校歌を歌いました。小鹿野高校の校歌には、「青春の叡智の花は この庭に今こそ開く」というフレーズがあります。今月の校長Blogは、校歌の歌詞にある植物についてのお話です。
当然、「叡智の花」はたとえだと思いますが、念のため「叡智の花」とよばれる植物があるのか調べてみたところ、花言葉が「叡智」という植物が見つかりました。
その前にまず「叡智」という言葉が難しいので、こちらも調べてみました。小学館 精選版 日本国語大辞典によると「叡智」には以下の2つの意味が書かれていました。
1 すぐれた知恵。真理を洞察する精神能力
2 哲学で直面する理論的実践的諸問題を効果的に処理する知能
このことから校歌のフレーズ「青春の叡智の花は この庭に今こそ開く」は、生徒の皆さんが小鹿野高校ですぐれた知恵、真理に迫る心を身に着けることを念じたものといえるでしょう。
さて、ここからは、実在する植物としての「叡智の花」についてのお話です。キーワードを「叡智」と「花言葉」でウェブページを検索してみると、「知恵」が花言葉の植物も出てきますが、「叡智」は「すぐれた知恵」となっていますので、花言葉が「知恵」の植物は除外しました。すると叡智の花は、エンレイソウという植物でした。6月の校長Blog「スミレの生存戦略」でも書きましたが、同じようにエンレイソウというと、エンレイソウ属と、エンレイソウという名前の種(しゅ)を指す場合があります。エンレイソウ属はTrillium と属名を書きます。Trilliumという属名の命名者は、スウェーデンの博物学者、リンネです。この属名はスウェーデン語trilling「三つぞろいの」の転化と思われるという内容が小学館ランダムハウス英和大辞典第2版に書かれています。リンネは、生物の名まえを属名と種小名で表す二名法を始めたことでも知られています。二名法は現在も学名の書き方に受け継がれています。
左下の写真を見ると何が「三つぞろいの」かわかると思います。葉の付き方が特徴的です。それに加えてエンレイソウは、地味な花ですが、花びら(花被片)も3枚のように見えます。エンレイソウはユリのなかまです。ユリの花は、右下のミヤマスカシユリの写真だとよくわかりますが、内花被3枚、外花被3枚で花びらが6枚に見えます。しかし、エンレイソウでは目立つ花被は3枚ですね。花というものは葉が変化したものですので、葉が3枚なことと似ているのだと思います。
エンレイソウ(新潟県で撮影) | 花被片が6つのミヤマスカシユリ(栽培品) |
このエンレイソウは、残念ながら小鹿野高校の敷地内には生育していません。しかし、自然豊かな小鹿野町にはエンレイソウが生育していて、二子山や両神山で見たと記憶しています。この地域で地域とともに学ぶ小鹿野高校にとっては、校歌の「この庭」は小鹿野町と、とらえることもできると思います。生徒の皆さん、この自然豊かな小鹿野の地で叡智の花を咲かせてみましょう。
スミレの生存戦略
小鹿野高校に着任して最初に目に留まった植物は、ノジスミレでした。ノジスミレは3月下旬には満開でした。そのほか、敷地内にはコスミレやタチツボスミレなど3種以上のスミレが生育しています。みなさんはスミレの花をよく見たことがありますか?
ここでみなさんが、混乱しないように説明します。「スミレ」という場合、2通りの意味があります。1つ目は、スミレが「スミレ」という種(しゅ)をさす場合です。この場合は、Viola mandshurica がスミレです。観察したところ、学校の敷地内では見ませんでした。2つ目は、スミレがスミレ属( Viola )とかスミレ科( Violaceae )といった種より上位の分類群、「スミレのなかま」を指している場合です。「スミレ」が3種生育という場合は、スミレ属とかスミレ科を指しているということになります。ここでは、スミレを「スミレのなかま」としてお話しします。
さてスミレを観察したところ、種類によって多少のばらつきはあると思いますが、開花後、3週間後ぐらいで種を飛ばします。果実は3つのパーツからなり、熟すと機械的にはじけて種子が1m程度飛びます。しかし、実際にはもっと離れた場所でも生えていることがあります。どうしてだと思いますか?同じようなことがスミレ以外の植物、例えばカタクリなどでも知られています。スミレの種子にはエライオソームと呼ぶ脂質を含む栄養のある部分があります。このエライオソームはアリにとってごちそうです。アリはエライオソーム目当てで種子を運び、最終的にはエライオソームだけを使います。つまりスミレはアリにごちそうをあげて、種子を運ばせているのです。このことは自分で移動できないスミレがアリを利用して増えるというしたたかな生存戦略を持っているということです。
3つに割れ種子を散布するノジスミレの果実 |
エライオソーム(白い部分)が付いているノジスミレの種子 |
またスミレの果実に注目すると、意外なことにスミレの果実はスミレの「花」を見なくなった6月になっても作られています。これはどういうことでしょう。みなさんは、花というと花びらがあってきれいなものをイメージすると思います。菫色などの言葉があるとおり、花びらがきれいな色をしていると思うでしょう。しかし、スミレのすごいところは、それだけではありません。スミレの花には、みなさんが見たとき花が咲いていると認識する花、「開放花」と、咲いていても気が付かない花、「閉鎖花」の2種類があります。
開放花は、花びら(花弁)があり、昆虫が受粉のために花に来ます。昆虫に対して開放している花ということです。一方、閉鎖花ですが、こちらは見た目にはつぼみのように見えます。こちらは花弁もなく、昆虫の助けを借りず、自動的におしべが伸びて花粉をめしべに付けて受粉します。
では、これらの2種類の花があることにどんな意味があるでしょう?開放花では、昆虫の助けが必要ですが、ほかの個体の花とも受粉できるので、次の世代に遺伝的多様性を伝えることになります。閉鎖花では、機械的に自家受粉を行うので、効率よく種子を作り、散布することができます。つまり、開放花で遺伝的多様性を高め、閉鎖花では効率よく種子を作るわけです。ここにもスミレのしたたかな生存戦略が見えてきます。
みなさんが気にも留めないような生物にもいろいろと面白いストーリーがあるのです。そんな足元の植物にも目を向けてみませんか。
ノジスミレの開放花(3月下旬~4月上旬) |
ノジスミレの下を向く閉鎖花と 散布間近で上を向く果実(6月下旬) |
竹あかりの「タケ」
先日、たけのこご飯を食べました。たけのこは春の味覚などといわれますが、とてもおいしいですね。たけのこは、タケの新芽です。1日で数10cmといった驚異的な成長をします。今回はタケについてのお話です。
さて、生物学の分野では、生きものの名まえを日本語で書く場合は、カタカナで表記することになっています。その場合、竹はタケとなります。タケはイネ科の植物で、木と草の性質をあわせ持っています。タケは硬く大きく育ち、竹林ができるほどです。これは木の性質に近いといえます。また、先日のニュースで植物園のタケが開花したと報道がありました。60年とか120年に一度咲くなど言われています。花が咲くと枯れる種類もあり、一生で1回のみ花が咲くことから草の性質に近いといわれます。このようなことから、タケは木か草かという話になると、タケは木でも草でもない、タケはタケとなります。
ところで、竹といえば皆さんは何を思い浮かべますか? 春の味覚、たけのこでしょうか、タケはざるの材料にもなります。秩父地域ではそばが作られています。ざるそばを思い浮かべる人もいるかもしれません。
また、文学に興味がある人は古典の「竹取物語」を思い浮かべるかもしれません。かぐや姫のお話と言えば知らない人は少ないと思います。「竹取物語」は、平安時代にできた日本最古の物語と言われているようです。竹から生まれたかぐや姫が美しく成長し、様々な人から求婚されるが断り、最後は月に帰っていくというお話ですね。
タケに入っていることを考えると節と節の間にある程度の大きさが必要です。中国やインドシナなどに生育するダイマチクという種類のタケが植物園に植えてあることがあります。これは、節と節の間が60cm、稈(かん ※樹木で幹にあたる部分をイネ科では稈という)の直径が30cm、高さが30mにもなるような世界最大のタケです。そんな大きなタケならば、それこそ生まれた赤子が中に入ってしまうほどです。
一方で、日本の神話「古事記」や「日本書紀」に「すくなひこなのみこと」というとても小さい神様があります。「古事記」や「日本書紀」のお話から推測すると体長は数cmです。これなら日本のタケでも十分に入ることができる大きさといえます。
大きいタケと小さいタケ、どちらのタケがモデルだったのでしょうか?インターネットのサイトを検索すると竹取物語と似たような話は中国にもあるようです。タケのなかまはアジアに広く分布しています。ますますわからなく、昔から気になっていることです。
さて、小鹿野高校では小鹿野町と連携して竹あかりという素敵な取組を行っています。下の写真は、竹あかり同好会の生徒たちが作った竹あかりです。竹あかり同好会に入っていない人もぜひ注目してください。
私と「小鹿野」との縁
私は大学で生物について学びました。そして小学校、中学校、高等学校の教員免許を取り、高等学校の教員になりました。高等学校の教員を目指すようになったきっかっけが、「小鹿野」にあったのです。
今の小鹿野町の地域には、両神山、二子山など標高1,000mを超す山があります。両神山は構成する岩石の多くがチャートの岩峰で、登山道には鎖場がある山です。二子山はいわゆる双耳峰で、西岳と東岳の2つの山頂があり、それぞれ石灰岩が露出している格好いい山です。
私が大学3年生のときに、研究室の4年生の学生たちとこれらの山に調査に行きました。当時、研究室では石灰岩地の植物群落について研究していました。研究室での調査の後も一人で調査に行きました。そのとき、出会いがありました。ある植物との出会いです。これをきっかけにして、私はフィールドワークの面白さに目覚め、高校の教員への道を歩んでいました。そんなわけで、私にとって「小鹿野」というところは特別なところです。
生徒の皆さんも「小鹿野」という素晴らしい地で学んでいるのですから、地域のいろいろな自然や歴史などに触れてみてください。皆さんの一生に大きく影響するような思いがけない出会いがあるかもしれません。