今月は、植物がある暮らしとして、食用や薬用など以外での植物と人との関わりについてのお話しします。今月27日に行われた令和6年度関東地区福祉研究発表会の福祉研究部門に本校2年次生2名が埼玉県代表として出場しました。これに先だって行われた県の予選で最優秀賞に選ばれたためです。当日は堂々と研究発表を行い、優良賞をいただくことができました。大変喜ばしいことです。研究テーマは、「花はQOLを向上させるか」でした。花=植物と言っていいでしょう。QOLは、Quality Of Lifeの頭文字から作られている言葉で、「生活の豊かさ」とか文字どおり、「生活の質」という意味です。つまり植物が生活の質を向上させるかという研究です。生徒たちは、仮説を立てて、検証し、考察するという流れで、花は、花に興味を持つ人のQOLを向上させるという結論でした。この調査研究のためのアンケートに回答いただいた皆さんには、おかげさまで生徒たちが研究成果をまとめることができたことを、この場を借りてお礼いたします。
さて、植物がある暮らしというと、私は園芸という文化を思い浮かべます。例えば、寺社や城などの古い建造物には、素晴らしい庭園があることも植物が人々の心の安定などに効果があることと関係していることでしょう。庭は、自然や世界観を庭園という空間に作り出しているものだと思います。また、華道は園芸とは違いますが、活花も忘れてはいけません。話は、園芸に戻ります。現在では、園芸店やホームセンターなどに行くと様々な植物が売られていますし、ウェブサイトでもいろいろな方法で植物を手に入れることができます。
園芸というと、いろいろな植物が栽培されていますが、歴史的にはオランダにおけるチューリップの流行などが有名です。このことは、私が持っている英和辞典にもtulipomaniaという単語で載っています。オランダでは、異国の花で魅力的なチューリップに熱狂し、価格が高騰して、そのあとに価格の暴落が起きています。このことは、経済の分野でも研究されているようです。日本でも江戸時代には、様々な植物が栽培され、同じようないわゆる園芸バブルも起きています。その一つが、マツバランというシダ植物で起きています。マツバランは、暖かい地域に生育する植物で、埼玉県でも自生を確認しています。

マツバラン(2004年11月 沖縄県八重山郡の西表島)
マツバランは、形態的に変わっています。シダ植物や種子植物など維管束植物の多くは、からだが根と茎と葉からできていますが、マツバランのからだは、地下茎と地上茎でできているといえます。つまり、地下部には根がなく、地上部には、茎に小さな突起がありますが、葉脈にあたるものがなく、通常の葉とは違うイメージです。まさに「根も葉もない」植物です。

根がないマツバランの地下部の茎
そのマツバランは、シダ植物であり、胞子で増殖するため、街中の植え込みの中に生えていることもあります。これは、庭園木の移植とともに移動したものか、それらに由来して胞子で増えたものかもしれません。そういった自然に生えた個体の中には、形が変わった個体や白色や黄色の斑入りの個体が見つかることがあります。それらは、その珍しさからコレクションの対象になりました。江戸時代にその人気がわかるエピソードとして、1鉢の「松葉蘭」が、土地付きの家と交換されたことなど、伝わっています。今でも当時人気があった個体が受け継がれているものがあります。マツバランは、草ですが、地下茎で増え、それを株分けしながら維持してきました。ある意味100年以上生きていることになります。

温室内で増殖したマツバランの変わった個体(縮緬という芸の個体)
このように洋の東西に関係なく、人は珍しいものを持ちたいという気持ちがあるようです。植物は、癒しを与えてくれますが、今の園芸ブームを見ていると、コレクションのためのストレスもありそうです。高い金額で手に入れても、しばらくすると、それよりも安く売買されているなど趣味の植物では、比較的よくあることのようです。私は、植物に興味がありますが、忙しいときは、例えば、春にウメの花が咲いたことになかなか気が付かなかったことなどありました。忙しいという字はりっしんべんに亡くすですから、心を亡くした状態ということでしょうか。植物に限らず、自然に意識を向ける心の余裕を常に持ちたいですね。